Nishitake hiroki
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消失の人

私たちは作品を制作する時に、常に素材と対話しているのではないだろうか。私のイメージを作業という行為で素材に伝え、素材はその作業に形をもって答える。その素材が出してきた形に対して、私はイメージに合っているかどうかで善し悪しを決定する。しかしそれは私のみの主観であって、素材との対話は始まっていない。形とは素材からの目に見えるメッセージである。そのメッセージを私は読み取り、私は作業という行為をもってまた素材にメッセージを伝えなければならない。そういった対話で作り上げられた作品には、私の主観だけではなく、素材からのメッセージも込められ、何もかもが「決定不可能」な、曖昧なものになってくれるのではないか?

 

  

 

「消失の人」

※※※※展 市民ギャラリー矢田/ 愛知 / 2007
羊毛、膠
1700×650×250mm

顔

なにを見るのか

雌型(型)は、私の周りを表している物である。雄型(中に込めるもの)は私自身を表している。しかし、私自身の雄型は、雌型に関わることで変化し、影響され、形成される。このことは、今にも私という存在が消えてしまいそうな不安をかきたてる。私が消えた後に残るのは、きっと雌型の方だろう。それなら雄型が私自身なのか、雌型が私自身なのか、それとも両方が私自身なのか、そんなことを考えて、私はどこにいるのだろう。

 

 

「なにを見るのか」

GROUP SHOW展 市政資料館 / 愛知 / 2006
羊毛、膠
サイズ可変

 

 

 

シャツ

存在のあかり

脱ぎ捨てられた洋服をみると、なぜか自分の抜け殻のように感じる。
洋服というものは私にとって第二の皮膚のようなものである。その第二の皮膚に実際の皮膚を映し出す。それは内側から光に照らされることで、内に隠れた皮膚が外に向かって浮かび上がる。そしてそこには人が存在しないのに、人の存在を感じさせる。

「存在のあかり」

GROUP SHOW展 市民ギャラリー矢田 / 愛知 / 2006
(上)子供用シャツ、FRP樹脂
500×300×500mm
(下)子供用パンツ、FRP樹脂
400×300×300mm

 

 

 

つくり

ツクリツクラレ

私たちは周りの環境、今まで出会った人たちによって作られている。
そこ環境は私の中に入ってきて、私を形成している。私もまた、今まで出会った人たちを作っている。この作品は、洋服を自分の皮膚、つまり外と内とを分ける物とし、そこに外の人たちが入ってきて、一人の私という環境を作っている。服の内側に切り取られた人形の穴は、外への出入り口となる。私はその出入り口を使って、再度周りの人たちに入ってゆく。私たちはお互いに作り、作られる存在なのではないだろうか。

「ツクリツクラレ」

お寺で発表会展 唯法寺 / 愛知 / 2006
洋服、FRP樹脂
サイズ可変

 

 

テッシュ

身体実験

子供の頃、悪戯でティッシュを濡らして人の家に投げつけていたことがあった。何日もそのティッシュは家にへばりついて、ティッシュは固くなるもんだなあと子供の頃の私は感動した事があった。
そんな体験を思い出し、ティッシュという素材を選んだ。
ティッシュをどのような形で見せようかと考えたり、ティッシュを何箱も無駄にした結果、純粋に水につけてしぼった形が一番面白かった。
それと同時にこの形は、私の皮膚で完全に覆われた時にできる、
内側の形のようにも思った。
私の身体で外に向かっている皮膚を使い、内というものを
感じる形ができたのではないか。

「身体実験」

翔べ!二十歳の記憶展 CBCスタジオギャラリー / 愛知 / 2006
ティッシュ、写真
サイズ可変